坂本真由美 公式ウェブサイト

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●NYジャピオン 11月号 巻頭特集「読みたい一冊」('11/11/18)
http://www.ejapion.com/special/635/1

NYジャピオン巻頭特集「読みたい1冊」で取り上げて頂きました。読書の秋、ニューヨークで活躍する6人に「座右の書」、「今年の1冊」、「ニューヨークの1冊」をテーマに聞くという特集です。

座右の書
『自助論』 サミュエル・マイルズ著、三笠書房
今年の一冊
『イケズの構造』 入江敦彦著、新潮文庫
ニューヨークの一冊
『The Book of Tea』 Kakuzo Okakura著、Dover Publications


集中力が必要なときの1冊

ピア二スト 坂本真由美さん

http://www.ejapion.com/special/635/3

 ピアニストの坂本真由美さんの座右の書は、『自助論』。彫刻家ミケランジェロが死の直前に描いたデッサンの片隅に書き添えられた、「私は今でも学び続ける」という言葉に感銘を受けたという。心の動きに従って自在にのみを操れるようになるまで修行を積めば、頭に思い浮かんだいかなる構想でも大理石にそのまま表現できるようになると主張した、ミケランジェロの芸術に対する真摯(しんし)な姿勢が演奏においても通じると語る。中学生のころに父親から「若いうちに読んでいた方がいい」と渡された1冊でもあり、つらい時や集中力を必要とする時に思い出す本だ。

 また、実家に司馬遼太郎や池波正太郎などの本が置いてあり、自然と日本史好きになった坂本さんは、「戦国時代と江戸末期が大好きな自称〝歴女〟です」とほほ笑む。芸術を理解する上でも、歴史や宗教、文学を切り離して考えることはできない。ピアニストとして西洋音楽(クラシック音楽)を演奏する上で、西洋の文化を理解し芸術的な解釈をするために、比較として日本文化を描く本を読んできた。結果的に、そうした日本の本が演奏の際にイマジネーションを与えてくれるいう。

 今年の1冊は、京都の伝統的なコミュニケーションツール「イケズ」を学べる『イケズの構造』。ニューヨークといえば、岡倉覚三(天心)が米国人のために茶を通して日本の思想や倫理観を記した『ザ・ブック・オブ・ティー』を思い浮かべる。


(プロフィール)
坂本真由美 神奈川県出身。4歳よりピアノをはじめ、2005年よりドイツ・ハノファー芸術大学へ。11年9月に行われたケルン国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝。今後は活動の場をニューヨークにも広げる。www.mayumisakamoto.com


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●月刊ショパン 11月号('11/10/18発売号)巻頭カラー
「今月のNEWs」より

月刊ショパン11月号巻頭カラー「今月のNEWs」のトピックで、
ケルン国際コンクール優勝の記事を掲載していただきました。

坂本真由美さん

ケルン国際音楽コンクール第1位に輝く

9月22日から10月1日までドイツで開催されたケルン国際音楽コンクールにて、坂本真由美さんが優勝した。
坂本さんは、2006年東京藝術大学を卒業後、2007年ハノーファー芸術大学を卒業。
現在、ハノーファー芸術大学ソリストディプロマコースに在籍するかたわら、ハノーファー芸術大学非常勤講師を務めている。
今年のコンクールでは、ピアノと声楽とヴァイオリンの3部門が同時に開催。
youtubeを利用した公開での予備審査が初めて取り入られ、話題を集めていた。
予備審査を経て、33人が予選に進出。坂本さんが演奏したのは、ラフマニノフ(楽興の時)、モーツァルトのピアノ協奏曲21番など。
今回の受賞に対し、坂本さんからこんなコメントが寄せられた。

「この度は、歴史あるケルン国際音楽コンクールで第1位をいただき、応援して下さった皆さまには大変感謝しております。またファイナルではケルン放送管弦楽団との共演も心から楽しませていただき、団員の方々が選ぶ最優秀賞と音楽大学の学生さんたちが選ぶ最優秀賞もいただくことができました。これに甘んじることなく、これからも研鑽を続けて行く所存ですのでどうか今後とも温かく見守っていただければ幸いです。」



書籍
吉原真里著 『ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール--市民が育む芸術イヴェント』
(2010年、アルテスパブリッシング)
http://www.artespublishing.com/books/903951-32-4.html

118頁~129頁に、坂本真由美へのインタビューがまとめられておりますが、その一部をご紹介させていただきます。全インタビュー記事は書籍をご覧ください。経験談、日本とドイツの音楽教育の違いや国際コンクールに対する私なりの考えなどをお話させていただきました。


坂本 真由美

日本からの出場者のひとりである坂本真由美さんは、1983年生まれ。東京芸術大学附属高校、東京芸術大学を卒業後、ドイツのハノーヴァー芸術大学に在籍。2002年にチャイコフスキー・コンクールでセミファイナリストとなった後、数々の国際コンクールに出場し、2004年にはグリーグ国際コンクールで1位、2006年にはアンドラ国際コンクールで2位をおさめた。クライバーンの予選では、29人中順番が最後で、威厳と格調にあふれた深淵な演奏をしたものの、残念ながら本選進出はならなかった。しかし、クライバーン終了後間もなくノルウェーで行われたトップ・オヴ・ザ・ワールド国際ピアノコンクールでは2位を受賞している。予選の結果発表の数日後、ホームステイ先のお宅でお話をうかがった。



——まず、どのようにしてピアノを始められたんでしょうか。
父は普通の会社員で、母もとくに音楽に詳しいわけではなく、主婦をしています。3歳のときに、なにか習い事をさせようということになって、父が私に、水泳をやりたいか、音楽が勉強したいか、と聞いたんです。私は、顔を水につけるのも怖いくらい水泳が嫌だったので、もともと歌がとても好きだったこともあって、音楽を選んだのが始まりです。

——音楽を本格的にやろうと思ったのはいつごろですか。
私の場合は比較的遅くて、中学校くらいになってからです。それまではどちらかというと勉強のほうが好きだったので、音楽は一生続けていく趣味なのだろうと思っていました。両親は私を音楽家にするつもりはなかったので、中学に入る前まではむしろ塾通いが忙しくて、ピアノのことを真剣に考えることはあまりありませんでした。
たまたま、小学生のときに受けたコンクールで調律をしていらしたかたが、私の演奏を聴いて、なにかいいものがあるのではないかと思ってくださり、その後長い間お世話になることになった芸大の先生を紹介していただいたのが、音楽を本格的に勉強するきっかけになりました。
そして、高校は芸大の附属高校に進み、それから芸大に入りました。大学を卒業する少し前に、先生が、「もう僕が教えられることも少なくなってきたから、なるべく海外に勉強しに行ったほうがあなたのためになるよ」と勧めてくださって、大学を卒業する前に、ハノーヴァーに行くことを決めました。

——なぜハノーヴァーだったのですか。
大学一年のときに、チャイコフスキー・コンクールを受ける権利をいただいて、それが国際コンクールを受ける初めてのきっかけになりました。そこにハノーヴァーから素晴らしいピアニストのかたや審査員をされている先生方がたくさんいらして、ハノーヴァーというのはどういうところなのだろうと興味を持ちました。その後、リーズやグリーグなどといった他の国際コンクールを受けるようになるにつれ、ハノーヴァーの優秀な学生の演奏を聴いて、ハノーヴァーにはきっとなにかがあるのだろうと思い、是非そこで勉強してみたいと思うようになりました。今ハノーヴァーでついている先生が、ザルツブルクの講習会で教えていらっしゃるというのを知り、先生のCDや著書を見て、「この先生だったら私になにか大きなものを与えてくださるかもしれない」と思い、教えていただきに行って、ハノーヴァーに留学することになりました。

——実際にハノーヴァーに行って受けたトレーニングというのは、日本でのそれまでのトレーニングと比べてどんなふうに違いましたか。
ハノーヴァーでの大学院教育は、優秀な教育者を育てることよりもすぐれた演奏家を育てることが重視されているように思います。世界中からいろいろな背景を持った学生が集まるハノーヴァーは、自分の演奏の幅を広げるのにとてもいい環境です。ハノーヴァーに行って大きく違ったのは、学生がとても個性豊かで独特の世界観のようなものを持っていて、先生もいい意味で学生を自由に遊ばせているというか、音楽を自分なりに作らせるといった、型にはめない雰囲気だったのが印象的でした。

——もともとチャイコフスキーを受けてみようと思ったのはどういう理由でしたか。先生に薦められたんですか、それとも自分で行きたいと思ったんですか。
いえ、先生はまさか私が国際コンクールを受けようとしているとは思ってもいなかったし、自分でも行けるなんてとても思っていなかったのですが、ただ、ロシアに行ってみたい、行けたら素敵だろうなと、結構ミーハーな気分で受けたんですね。そのときは、まさかその後自分が海外でコンクールを受けたり勉強したりするなんていうことは考えていなかったんです。外の世界が本当に見えていなかったので、芸大の高校に行って芸大に行けば、なにかしらどうにかなるだろう、くらいに思っていました。私の場合、全然そんなことはなかったのですが。(笑)

——初めてチャイコフスキーに行ったときは、どんなことを感じたり考えたりしましたか。
「世界にはこんなにすごい人がいっぱいいるんだ」とショックを受けました。本当に音楽に病みつきになったのは、そのときが初めてだったのかもしれません。それまでは私は外国に旅行すら行ったことがありませんでした。そのとき初めてパスポートを取って、ビザまで取って、初めて行った国がロシアだったというのもかなりインパクトが強かったですね。(笑)あれがなかったら、今こちらでコンクールを受けたり勉強したり、こちらでコンサートをやりたいとか、なにかチャンスがほしいとか、思うこともたぶんなかったのではないかと思うので、すごくいい経験だったと思います。

——チャイコフスキーがきっかけでその後いろんな国際コンクールに出るようになり、場数を踏むにつれて度胸がついたりしましたか。
そうですね、度胸もつくし、それと同時に、だんだん演奏する怖さというものも知るようになってきたと思います。コンクールというのはやっぱりちょっと異様な場というか、普通ではないですよね。音楽はもともと競うものではないし、点数をつけられるものでもないけれど、それを無理矢理競ったり点数をつけたりすることによって、私たちにも審査員のかたにもすごくストレスを与えると思うんです。だから、コンクールを続けていくうちに、演奏をして点数をつけられる、評価されることの怖さを知ってしまって、何も余計なことを考えずただ楽しく演奏していた時のほうがよかったなと思います。
コンクールは本当なら、なるべく受けたくないです。ただ、私にはこれといったコネクションがあるわけでもないので、コンクールがなかったら、演奏をさせていただく機会も私にはありません。だから、必然的にコンクールを受けざるを得なかったのだと思います。

——大きなコンクールをやるようになって、演奏の機会も増えてきましたか。
そうですね、以前よりはそうです。やはり、名前を知ってもらうというのが一番大きなことだと思います。最近は本当にたくさんのピアノのコンクールがあって、コンクールで入賞したからといってその先のことが保証されているわけではもちろんありません。それでもなぜ受けるのかと言うと、やはりそれによって自分のことを知らなかった人に、自分のことを知ってもらったり演奏を聴いてもらったりする機会を探すためなのかと思っています。やはり音楽家は自分の演奏をより多くの人に聴いていただいて満足していただくのが生きがいなので、コンクールまでわざわざ足を運んでくれた方の前でいい演奏ができるととても幸せな気持ちになります。

——今回、クライバーンをやろうと思ったのも、そうした理由ですか。
そうですね。とくにクライバーンが他のコンクールと違う大きな点は、メディアの力が大きいことですね。こんなコンクールって他にないと思います。私はアメリカでの経験がまだ浅いのでよくわからないのですが、コンクールがこれだけメディアに開かれているということがとてもアメリカ的だと思います。コンペティターの生い立ちやそれぞれの日常などもメディアによって報じられ注目されています。とてもそのぶん、自分をより多くの人に知っていただくのにはいいチャンスなんじゃないかと思います。やはり、注目してもらわないと、弾く機会もなかなか得られないので。実際、クライバーンでは、フォート・ワースに来る前から、いろんなインタビューを頼まれ、練習や準備以上に忙しいのは確かです。クライバーンはそういうメディアへの対応が好きだったり得意だったりする人のほうが、向いているコンクールだと思います。ニューヨークに長年いる人なんかは、カメラの前で話したり、自分をアピールしたりすることがすごく上手くて、見習わなくては、と思います。日本人の私には、そういうのははしたないと思われはしないかといった気持ちがどこかにあって、なかなかうまくできないのですが、皆さん大したものだなと感心しています。(笑)
クライバーンは、世界中からメディアが来ているし、インターネットでも中継されているので、世界からの関心度は高いと思います。ここで演奏した後は、私の演奏がとてもよかったとメールをいただくといったことが、他のコンクールよりたくさんありました。やはりクライバーンの公開度とアメリカでの注目度は高いと思いました。

——自分の演奏を、一日たった今振り返って、どう思いますか。
演奏会のときは、本当に自分が楽しめて、お客さんに喜んでいただけるように演奏するだけなのですが、コンクールのときって、いろんなことが気になってしまって、100パーセント自分の演奏ができることはほとんどありません。60パーセントくらいできればいいほうだ、とまで言われています。今回は演奏順が最後になってしまって待つ時間が長かったので、他の人の演奏についての記事を新聞で見ることになってしまったりして、練習に集中できなかったこともあったかもしれません。

——選曲はどういうふうにして決めたんですか。
なるべく自分の演奏を見せられるプログラムを持ってきたいと思って決めました。バッハというのは、バロックだし、バッハ自身が天才だから、演奏家が余計な脚色をしなくてもいい、と言う人も多いのですが、私はそういう考え方はしていません。バッハは今から見てもとてもモダンな人だと思うので、いろんな可能性を試してみたかったのです。自分のバッハについての考え方や、解釈や表現のしかたについて、みんなはどう思うだろうというのを知りたくて、選曲してみました。コンクールでそういうことを試すのがいいかわからないのですが。メンデルスゾーンは今年が生誕200年ということもあり、あまりコンクールで弾かれる機会も多くないので取り上げてみたかったことと、三曲目のラフマニノフの情緒的な演奏とは対照的に技術的な面を見せたかったことが選曲の理由です。ラフマニノフは今までに演奏会やコンクールで弾いてきた曲の中でも高い評価を頂けることが多く、自分の中でも自分の良さが最も表現でき人の心に訴えかけられる曲だと思って入れました。

——自分にとって一番しっくりくる作曲家やスタイルというのはありますか。
私は、あまりにも現代的なものはまだ得意でないというか、あまりしっくりこないんです。現代曲って、作曲家がすべてを楽譜に書いてしまっている気がして、私たちがなにかをする前にすでに作曲家が完成させてしまっているように思います。だから、自分ができることがあまりないような気がして少し淋しいのかもしれません。むしろ、クラシック時代のものや、ロマン派、近代くらいまでのほうが、演奏家が解釈をして表現をする余地があって、私にはしっくりくるというか、自分を表現できるような気がします。作曲家と向き合えるというか、作曲家がなにを考えていたのか、なにを表現しようとしていたのか、私にはなにができるか、といったことを想像し、考えを膨らませることができて、今の自分には合っていると思います。

——クライバーンは他のコンクールと比べると弾く量が多いですが、それはやはり大変ですか。
確かに多いですが、曲の量はそれほど大変だとは思わないです。それより、やはりファイナルまで行くと、演奏と演奏のあいだの時間がけっこう詰まっているので、精神面のほうが大変だろうと思います。メディアとも常に関わらなくてはいけないので、体力面でも精神面でもタフじゃないと、このコンクールではやっていけないだろうなと思います。

——今26歳ですから、やろうと思えばもう一度できるんですね。
そうですね。でもコンクールって若い人のほうが有利だと思います。一時はほんとうに十代ばかりがコンクールで入賞している頃もありました。ちょうど私がチャイコフスキーを受けた頃はまだ、若い人がとにかくもてはやされる時代でした。しかしそのときに勝った人たちが、必ずしもいい音楽家に成長しているとは言えません。それを見かねた関係者たちが、若い人を入賞させるということにそれほど意義を見出せなくなって、それ以来はとても若い人がものすごくもてはやされるという風潮はなくなってきました。それでもやはり、だんだん難しい年齢にはなってくると思います。

——それはなぜですか。
基本的にはコンクールというのは若手を発掘して育てることに主眼を置くので、たとえば30を過ぎてからとてもいい演奏をしたとしても、最近のコンクールではどのくらいの価値をおいてもらえるのかどうか、少し疑問です。そんな事情もあってか、大きなコンクールでポーンと1位を取ったりするのは若い人のほうが多い気がします。

——じゃあもう次はやろうとは思わないですか。
挑戦はするかもしれませが、あまり期待をもってのぞまないかもしれません。でも、コンクールの世界は30歳を過ぎるころになるとほとんどで参加資格を失ってしまい機会が閉ざされてしまうので、チャレンジはできるうちにしたいですね。

——この次のコンクールの予定はもうあるんですか。
実は6月12日からノルウェーでコンクールがあります。

——えー、もう2週間後ですか!
そうなんです。これが終わってから3日間だけハノーヴァーに戻ってそこからノルウェーに飛ぼうと思っています。そのコンクールは361人オーディションを受けて24人が通っています。このクライバーンの出場者のなかからは3人そのコンクールを受けます。そんな感じで、ひとつのコンクールに出る人は他のコンクールにも出ていることが多くて、「あ、また会ったね!」なんてことがよくあるので、私たちは自分たちのことを「コンクール・ツーリスト」って言ったりするんです。(笑)

——それは本当に体力がいりますね。
そうですね。みんな頑張っていると思います。このクライバーンの1週間くらい前にもダブリンでコンクールがあって、それもここにいる何人かが受けていました。

——えー!一週間前!そんなに、言葉も違えば時差もあるようなところを転々としてコンクールを受けるのは、体力的にも精神的にもほんとうに大変ですね。じゃあ、よく一緒になる人とは仲良くなったりしますか。
そうですね。顔なじみになるので、仲良くなったりしますね。もう、ライバルというよりも、同志のような意識になってきますね。コンクールって、いつも誰かが一番になるわけじゃなくて、このあいだは1位になったけど今度は1次で落ちたとか、このあいだは1次で落ちたけど今度は入賞したとか。そういう世界なので、場所が変わって審査員が変わって聴衆も変わると、順位も変わります。だから音楽って面白いなと思います。感じ方は人それぞれですからね。
それに、大きなコンクールで1位になったからといって、その後でたくさん仕事が入って演奏家人生が必ずしもばら色になるわけじゃないので、どこかで入賞してもまだ他のいろんなコンクールを受け続ける人が多い。そういう意味では、本当に厳しいですね。

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